隣町の演奏会に行ってきた。音楽は心に響く。震災から一年。皆で黙とうをささげた。被災地に思いを馳せた。でも自分の想像力なんてたかがしれている、と思った。何かが足りない、と思った。この一年胸の中に留まり続けた。自分に問い続けた。世を思った。作家の高村薫氏が新聞で次のように述べておられた。「(前略)被害の全体は、現時点でこの国が手当てできる物理的限界をはるかに超えているのではないか。」そしてこう締めくくられた。「失われたものの大きさに頭を垂れながら、国全体で新しい地平へ踏み出してゆくような思考が求められている。」私はこの考えに共感する。しかし私は、一百姓として、自分に精一杯生きただけだ。ただ懸命に。でもそれすらままならないかもしれない。私は願う、いつか自分が考える新しい地平へ踏み出して行きたい、と。本当はもっと、経済なんてくそくらえ、と言いたい。この今の文化で本当の意味で、命が最優先されることなんてないから。経済活性化という大義名分のために一体どれだけのかけがえのないとても大切なものが犠牲にされるのか。時には自分もその当事者になり得る。しかし自然に働きかけて糧を得る百姓にとって、本当の実体は、自然の中にあることは、嫌になるほど、身にしみて知っている。それは百姓の誇りだ。震災の悲しみは深い。それは、命のはかなさ、切なさ、愛おしさ。夜、この季節には珍しく、雪が降った。