田んぼはやっぱり手を加えてやると生き生きする。自然農法と言うと、自然放任、何もしない、何も入れないとイメージされる方もいるが、「いかに自然に関わるか」は、栽培者としてとても大切なことである、と私は思っている。
だから栽培として、どう自然に関わるかは、極論すればあらかじめ何も決めていない。田んぼを観察して、天気を読んで、その他いろいろな要因を総合的に判断して、何かをするしない、何かを入れる入れないなど、どう関わればよいのかを決めていく。状況が変われば関わり方は変わる。(だから本当は~農法とか~栽培とかとしてしまうと、そこに一定の法則性とか決まりごととかができてしまいそうで、個人的には少ししっくりこないなぁと思う時がある。しかし無論、そこにこれまでに長い歳月をかけて構築された理論や哲学や精神性や方法論により今の私が大いに支えられ助けられていることは言うまでもなく、その「自然農法」と呼ばれるものをずっと学び研究してきたわけだし、他の人に自分がしていることを理解してもらうにはやっぱり「自然農法」という言葉が最も簡潔に言い表しているように思う。要するに、これをしてはいけないとか、これをしたほうがよい、というのは基本的にはないのではないかと言いたいのである。)
あらかじめ確かに分かっているのは、農薬や化学肥料を一切使用しない、自分達が安心して食べられるものを届ける、生命(いのち)を最も大切にする、食べる人の健康を守る、ここに栽培の軸足を置く、おそらくこれぐらいだ。
ところで、その自然農法であるが、基本は「自然の摂理に則った関わり方をすることによって、より自然(土)の力を引き出す」ことであると言われている。この自然の摂理って一体何だろう?それをここ何十年、ずっと考え続けているのであるが・・・The answer,my friend,is blowin`in the wind(by Bob Dylan) その答えは風に舞っていてよく分からないのである。
だから、田んぼを育て稲を育てる上で、今これが最善だと思うことに、最善を尽くす限りである。
だから栽培として、どう自然に関わるかは、極論すればあらかじめ何も決めていない。田んぼを観察して、天気を読んで、その他いろいろな要因を総合的に判断して、何かをするしない、何かを入れる入れないなど、どう関わればよいのかを決めていく。状況が変われば関わり方は変わる。(だから本当は~農法とか~栽培とかとしてしまうと、そこに一定の法則性とか決まりごととかができてしまいそうで、個人的には少ししっくりこないなぁと思う時がある。しかし無論、そこにこれまでに長い歳月をかけて構築された理論や哲学や精神性や方法論により今の私が大いに支えられ助けられていることは言うまでもなく、その「自然農法」と呼ばれるものをずっと学び研究してきたわけだし、他の人に自分がしていることを理解してもらうにはやっぱり「自然農法」という言葉が最も簡潔に言い表しているように思う。要するに、これをしてはいけないとか、これをしたほうがよい、というのは基本的にはないのではないかと言いたいのである。)
あらかじめ確かに分かっているのは、農薬や化学肥料を一切使用しない、自分達が安心して食べられるものを届ける、生命(いのち)を最も大切にする、食べる人の健康を守る、ここに栽培の軸足を置く、おそらくこれぐらいだ。
ところで、その自然農法であるが、基本は「自然の摂理に則った関わり方をすることによって、より自然(土)の力を引き出す」ことであると言われている。この自然の摂理って一体何だろう?それをここ何十年、ずっと考え続けているのであるが・・・The answer,my friend,is blowin`in the wind(by Bob Dylan) その答えは風に舞っていてよく分からないのである。
だから、田んぼを育て稲を育てる上で、今これが最善だと思うことに、最善を尽くす限りである。
