自然は容赦ない、よくそう思う。こちら側の大いなる都合なんてまるで関係なく、ただ淡々と季節を進ませ、風を吹かせ、雲を運び、雨を降らせる。昨晩から今朝にかけての強風雨で苗の保護シートを飛ばされた。そうならないように両サイドを土でしっかり押さえておいたのだが、それでも飛ばされた。大事には至らなかったが、紙一重だった。
自然の都合がすべて、自然に合わせ、自然に従うしかない。先日、日本画家の千住博さんが言っていた、「手に負えない自然というものを毎回経験していくということが、とても現代人にとって大切な気がする」。うーん、経験してるぜ、泣きたくなるほど、毎日毎日、体の隅々まで染み渡るほどに。6月に友の結婚式の予定が2つも入った、親友達の結婚式、いずれも断った(本当にすまない、それからずっと心苦しいのだ)、6月は代かきと田植えの時期、明日の用水路の具合や田んぼの水の入り具合や天気の様子や田んぼの状態だって分からない、一日を逃すと次のチャンスは時にはずっと先になる、田植えの適期は限られている、決して不眠不休でやっているわけではないのだが、その一瞬一瞬を捉えていかなくてはならない。
大げさかもしれないが、全身全霊、自分のすべてで田んぼと向き合う、山に棲む獣だって毎日のように田畑を狙ってやってくる。
ふと、こんなことでいいのだろうかと、よく思う。
「手に負えない自然というものを毎回経験していくということが、とても現代人にとって大切な気がする」「何でもコントロールできると思うことに非常に大きな過ちというものの、そもそもの発端がある」千住博さんのこれらの言葉にどこか救われたような気がした。ありがとうございます。