啓蟄

今日は啓蟄、二十四節気のひとつ、地元の新聞屋さんからもらったカレンダーには「冬ごもりをしていた生き物たちが暖かさに誘われて姿を見せはじめます。この時季になると、ひと雨ふるたびに気温があがり、うららかな季節の足音が身近に聞こえてきます」とある。確かに、暖かな日が差し、ウグイスが鳴き、野の花が色とりどり、あちらこちらに咲いている。風はまだまだ冷たいが、春の気配は濃厚だ。そうだ、私達もそろそろ本格的に農作業に取り掛かる頃かもしれない。啓蟄かあ・・・昔の人はうまく季節を捉える。
地球は、自然は、基本的なところは、今も昔も変わらないのだろうか?それともどんどん変化していくのだろうか?数十年前と比較しても気候は変わったように感じる。僅か数十年だ。それは、自然な流れなのか?それとも地球にとって、酷なことなのだろうか?生き物は、数十年前、私達の子供の頃は、町の中でさえ、もっと身近で元気でいっぱいいたように感じる・・・自然は随分細くなったように感じる、やっぱり生き物は減った、杞憂か・・・。人は自然と密接につながっている、そう思う、自然の豊かさが人を育む、そう信じる、地球が、自然が、酷と感じているなら、人もやっぱり酷だろう、そう思う。自然を犠牲にしてしか発展を望めないならば、自然を大切にすることが発展を妨げるならば、いつまでたっても自然を破壊して人工物をつくることに精力を注ぐならば、今のまま経済的発展をより望むならば、自然はより細くなり豊かさをなくし、生き物はさらに減っていく。もし自然が何らかの豊かさを失うということは、もし何らかの生き物が絶滅してしまうということは、それは自分の中の何かが確実に失われることであると、個人的には感じている。

啓蟄
啓蟄

ヒメオドリコソウ
ヒメオドリコソウ

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