昨日の冬の時雨のような天気からは一変、空の青さが鮮やかなとてもいい天気になった。
田んぼに何か変わったところはないか、田んぼの湿り具合はどうだろうか、などなど観察しながら歩く。それにしても鹿がより一層増えた。あちらこちらに足跡がある。もちろん猪もいる。山際の田んぼから山に通じる獣道も発見した。何度もそこを通るから道になる。大きな鹿の角まで田んぼの中に転がっていた。
山ふもとの田んぼ、いつも自然の懐に抱かれているような安らぎがあるが、いつだって鹿や猪などと対峙しなければならない。「共生」などと書くのはたやすいが、最前線である生産現場における「共生」の意味は生活に直結している。
知人からある青年農家の話を聞いた。動物に作物をやられても「あるがままを受け入れるだけです」だと。何言うとんねん!(関西弁)
一年間懸命に育てた稲を猪に無茶苦茶に食い荒らされ踏み倒された時、もしそこに猪がいれば私は猪に飛びついたかもしれない、と思った。
猪は自然の主、山の神かもしれない。でもそんな達観した心境には到底なれないのである。彼らもここで生きている、私もここで生きているのである。
田んぼに何か変わったところはないか、田んぼの湿り具合はどうだろうか、などなど観察しながら歩く。それにしても鹿がより一層増えた。あちらこちらに足跡がある。もちろん猪もいる。山際の田んぼから山に通じる獣道も発見した。何度もそこを通るから道になる。大きな鹿の角まで田んぼの中に転がっていた。
山ふもとの田んぼ、いつも自然の懐に抱かれているような安らぎがあるが、いつだって鹿や猪などと対峙しなければならない。「共生」などと書くのはたやすいが、最前線である生産現場における「共生」の意味は生活に直結している。
知人からある青年農家の話を聞いた。動物に作物をやられても「あるがままを受け入れるだけです」だと。何言うとんねん!(関西弁)
一年間懸命に育てた稲を猪に無茶苦茶に食い荒らされ踏み倒された時、もしそこに猪がいれば私は猪に飛びついたかもしれない、と思った。
猪は自然の主、山の神かもしれない。でもそんな達観した心境には到底なれないのである。彼らもここで生きている、私もここで生きているのである。
