畦の草刈りロードに出て、およそ40日が過ぎた。後もう少しでようやく一周りできそうだ。と言ってもその間、既に2回目の草刈りを行った所もある。もう随分長い間、畦草刈りをやっているように感じるのだが、まだ40日しか経っていないのか。
一周して帰ってきたら、息つく暇もなく次のロードに出る。寒くなるまで何周もする。
山ふもとの田んぼの畦はデカイし、区切りも多いし、他に水路の周りや道路の土手などおまけも盛りだくさんである。
こうして畦などの草刈りは、最も主な仕事のひとつになっている。
当初、私はこの草刈りが嫌だった。草に負かされ泣かされた。少しずつ自分自身を含めてそれらを制御するコツを覚えた。そして毎日のように伸びては刈る、伸びては刈る、を繰り返しているうちにある重要な事に気づいた。これは、私にとっては大きな気づきだった。それは、今の世の中では、その多くが意味のないものとして打ち捨てられたものだったし、そもそも意識するしないに関わらず否定されたものだった、おそらく。でも私は、そこに、大切なものを見出した。百姓になって得た最も大きな収穫のひとつである。
私はそれまで全国の農村を渡り歩いたし、一研究者として農家の身になって真剣に取り組んできたつもりだし、必死になって田んぼの観察を続けてきた。自分でも田んぼで多くの稲を育て、畔草刈りも随分やった。
でも私が私なりに畔草刈りを通じて「わかった」のは、そこに命のすべてをかけた百姓になってからである。
話が長くなりそうだ。機会があれば、またゆっくり話したい、と思う。
今の世の中、やっぱりどこか行き過ぎているところがあるように、思う。