里山の田んぼ

 今日は地域恒例の田んぼの水路そうじの日だった。水路に落ちた木の枝や落ち葉や土砂や石を取り除いていく。水路は山の水源から麓まで縫うように走り抜けていて数グループに分かれて行う。途中猪の通り道になっているところがあって、大量の土や石ですっかり埋まっていた。いつもつくづく思う、田んぼは、山を含めた地域全体を皆で手入れして守っていかなければ到底成り立たないのだ、と。思えば、大変だし、とても面倒なことなのだ。でもそれが里山の田んぼというものだ。グローバル、TPP、威勢はいいが、日本の里山の田んぼが今まで手入れされ守られてきたように、これからも世代交代が進んでも同じように守られていくのだろうか、里山の田んぼの摂理は自然の摂理だ、やっぱり自然と経済は反りが合わない、だから自然が減ったのだ、そう感じる。うまく言えないけれど、今里山の田んぼを支えている老人達がいなくなれば、日本の里山の屋台骨が揺らぐ。彼らの存在はとてつもなく大きい。