よく降った、今日も北風に乗って少しだけ雪が舞った。
昔、長野県に住んでいた頃、よく雪かきをした。雪かきは好きだった。長野オリンピックが開催された年に長野県に引っ越した、自分で決めたわけではなく、前の仕事の関係で(自然農法を研究する仕事だったが)京都の農場から長野の農業試験場への転勤だった。そこで水稲の専門研究員(師)にくっついて自然農法(無農薬・無化学肥料)の稲作りを本格的に学んだ。すべてが新しく、とても楽しかった。よく突っかかりケンカもした。私は生意気だった、生意気を辞書で引くと、「知識・経験・身分・年齢などが、まだ十分でないのに・・・」とある、そう私は決して十分ではなかった、そう私は支えられていたのだ、「ありがとうございました」、私はその時に教えてもらったことを、今この生活のすべてを託したこの場において存分に生かしている、私が自分一人の力で見出せるものなどほとんど何もない、例えば、”土,,をどう捉えるかなんて、できるはずもなかった。
ソチオリンピック、普段は滅多にテレビを見ないが、気になってテレビをつけた、テレビはいつもメダルメダルと熱狂的なので私はいつもどこか醒めているのだが、あの長野オリンピックから数々の試練を乗り越え未だに第1線であのひたむきな滑りをする上村愛子選手の、その実力とそのひたむきさに心うたれた。長野オリンピック、その年に私達は長野に縁があって移り住んだ、印象的な大会、あれから16年、時は確かに流れた、しみじみとあの当時を、それからの道のりを思い起こす(その後、私達は宮城、岡山、京都に移った)。ひたむきさは人の心を動かす。ありきたりだが、やっぱりメダルなんかじゃないぜ、大切なものは目に見えない、うん?どこかで聞いた言葉だなあ。道は続くのだ、また行こうぜ。