春の日差し

 時は流れる、そして季節は巡る、取り返しがつかないほどに、だからこそ、喜びや悲しさや切なさやかけがえのなさみたいなものがそこに含まれるのかもしれない、そんな気がした、春も近い、今朝は鳥がよく鳴いていた、高校生だった頃以来27~28年ぶりにマイケルシェンカーを聴いた、良かった、マイケルシェンカーはこんな心の籠もったギターを弾いていたんだ、どんな人なのかほとんど知らない、けれど全然何か全く見えないけれど心のようなもの、その人の人としての強い思いのようなものが確かにギターの音色に含まれていて確かに届く気がした、やはり心はどんなものにも込めることができるし、その何かを通して大切な何かを誰かに届けることができる、改めてそう感じた、暖かい日差し、なだらかな山の稜線、何だか不思議な気持ちになった。心は、お米に籠もる、そして伝わる、そう信じてやってきた。うまく言えないけれど、一粒一粒のお米にもっと大切な言葉にならないようなものを確かにこめることができるのかもしれない、そう感じた。