自然と生命

あれからもう4年経った。随分と時が流れた。どこかまるで時間が止まったかのような感覚がずっとあった。ある何かが違和感として澱(おり)のように心の中に残り続けた。ただ毎日のように考え思うが、まるで消化することができない。捉えるにはあまりに大きくて事情が多過ぎるのかもしれない。でもいつのまにか時が流れだした。少しずつ、少しずつの何かを忘れていくことに気づく。これを風化と呼ぶのだろうか。
しかしいつまでたっても消化できずに心の中に溜まり続けているものがある。それは何であるのか、自分でもよく分からないのかもしれない。
命が失われることは悲しい、近しい人を失うことは悲し過ぎることだ、そうなのだ、戦争でも多くの命が失われたのだ。
放射能はおそらく人の感覚では捉え切れるものではないのだろう、そう思う。いくら考えても考えても心の中のどこにも落ち着かない。
4年前のあの時、言葉を発した人は勇敢な人だ。何かをした人も勇敢だ。あの時は、私も含め、多くの人が言葉を失い、何をどういうふうに行動したらいいのかさえも分からなかったのだ。
簡単には答えは出ない。でも考える、考え続ける、考え続けたい、そして私は私なりの私の理想を持ってそこを目指して歩いていきたい。
一体どうすれば自然や生命が本当に輝くような世の中になるのだろうか・・・