アユモドキと風景とスタジアム

 地元亀岡の駅前に球技専用スタジアムの建設が予定されている。延べ3万3千㎡、収容能力2万人規模の建物だ。建設予定地の近くには国の天然記念物である希少種のアユモドキが生息している。絶滅危惧種の最上位にも指定されているアユモドキの生息・産卵場所は、ここ京都亀岡1カ所と岡山県の2カ所が残るのみになっているというから驚きだ。

 スタジアム建設のための大規模な開発が自然生態系に多大な影響を及ぼし、アユモドキがこれまで以上に絶滅の危機に瀕するのではないかと懸念されている。こうしたことから何かと物議を醸し出しているので、地元以外でもご存じの方が多いかもしれない。(また予定地の下流には保津川下りで有名な保津峡の狭窄部があるため予定地は洪水が逆流する浸水常襲地帯であり、スタジアムのための盛り土が水害を助長させる可能性についても指摘されている。)

 私は、30年以上前の中学生の頃から、自然が破壊されていくことが嫌だった。高度経済成長の名の下、もう信じられないほどたくさんの自然が壊され、凄まじい規模の人工建築物で海や山や川や田畑は埋め尽くされた。そうした現場を子供の頃から数え切れないほど目にしてきた。そして信じられないことに、それはいまだに続いているのだ。もういいだろう、もうこれ以上はいいだろう、もう今さら、道も線路も大きな建物もいらないだろう、そうしたものは本当に困っている人のために作ればいい、便利さや快適さや効率や楽しさだけのために、経済的な豊かさのためだけに、もうこれ以上自然を破壊しなくてもいいだろう、個人的にはそう思う。

 つまり私はスタジアムの建設には反対である。

(ちなみに建設予定地は私たちの農園からは6~7km程度下流になり、田んぼには影響はない)

 しかし今の経済を優先せざるを得ない世の中ではある意味仕方がないだろう、スタジアムだって、何だかんだ言っても駅前に建てることによって何らかの豊かさをもたらす可能性があれば、市や経済界が実現したくなるのもある意味納得できる(ある意味)。どれだけ自然が豊かでも、山や川や田畑がいっぱいあっても、それだけでは生きてはいけないのが現状なのだ。そう、結局は経済が優先される。時に美しい理由を見つけて、時にゴリ押ししてまでも。

(しかし先に少しふれたように、周辺住民にとってより考慮してもらいたいことは、水害対策ではないだろうか?交通渋滞も深刻な問題になるだろう。)

 同じものを見ても、十人十色、意見や考え方や見え方は違うだろう。

 人の数だけ地球の姿はあるだろう。

 だからひとつだけの正解も正しい答えも(同じ意味か)ないだろう。

 ここで述べることも個人的な意見に過ぎないだろう。

 それでもひょっとしたらある人には共感を呼ぶかもしれないし、ある人には全く声が届かないかもしれない。

 それでも何か自分にとっての正しさや意味を探ることもみんなの自由であるのだろう。

 

 私は、亀岡の駅から見える広々した田園風景が好きだ。遙か北に向かって山々が連なる。季節によって彩り豊かに表情を変える風景~スタジアムや関連施設の建設によってこの風景の趣は損なわれるだろうか?損なわれないだろうか?

 この風景が好きな人はおそらく私だけではないだろう。毎日通勤や通学に使う人々は毎日気づかぬうちにこの風景に癒やされているかもしれない。やる気や優しさや悲しさや寂しさや悩みや喜びや楽しみがこの風景に溶け込んでいるかもしれない。ひそかな思いが届けられているのかもしれない。情緒的に過ぎるだろうか?

 風景を見るひそやかな楽しみが失われてしまうかもしれないことに一体誰が気づいてくれるのだろうか?それは配慮されるのだろうか?されるべきなのか?その必要はあるのだろうか?

 

 予定地はアユモドキへの影響を調査する環境専門会議の提言を受けて、8月に予定地を保津川右岸からより駅近くに移動した。

 昨日の朝刊(京都新聞12日17月付け)にスタジアムについての2つの記事が掲載された(スタジアム建設はよく新聞を賑わす)。

 ひとつは"「稼ぐ」スタジアムを”という見出し

~駅に近い場所に多機能複合型のスタジアムやアリーナ整備を目指す動きが京滋で起きている。(中略)民間と連携して「稼げる」集客施設へ-。スポーツを成長産業と位置付ける国の大きな方針転換を受け、自治体や経済団体は地域活性化につなげたいと検討を進めている~(記事抜粋)

 ひとつは"アユモドキ保全 方針改善を"という見出し

~全国56の自然保護団体と学会が(中略)アユモドキの保全に関する基本方針を改善するよう求める意見書を、山田啓二知事と桂川孝裕市長に送付したと発表した。(中略)「新建説予定地であるJR亀岡駅北側の土地区画整理事業地の調査は、スタジアム建設を前提に実施されていない。アユモドキの越冬地への影響を考慮して、地下水が現状の流量や流路を確保できるかを検討すべきだ」~(記事抜粋)

 経済は自然を食う、経済界に生きる人々は経済からものを見る、一方で自然からものを見る人もいる、どちらかと言えば後者は少数派なのかもしれない。

 

 ボブ・ディランはこう歌った ~you`re right from your side  I`m right from mine きみの立場からきみは正しい ぼくの立場からぼくが正しい ♪~ 「いつもの朝に」から;アルバム「時代は変わる」(1963年)に収録

 ~線はひかれ コースはきめられ おそい者が つぎには早くなる いまが 過去になるように 秩序は 急速にうすれつつある いまの第一位は あとでびりっかすになる とにかく時代はかわりつつある ♪~ 「時代は変わる」から;同アルバム収録

 時代は変わる、そう、時代は変わる。

 今の少数派がつぎの多数派になるかもしれない。

 経済や自然や風景が同じ重みをもつ時代が来るかもしれない。

 全く新しい別の価値観が見つけられるかもしれない。

 

 しかしいつの時代になっても人の数だけ正しさはあるのだろう、そう思う。

 

 そして、とにかく時代は変わりつつある。